牧会者ブログ

平和への祈り #VOL.2

 

マタイによる福音書5:9

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。

今週は、G7広島サミットが大きなニュースになっていますね。

歴史的な各国の首脳たちが原爆記念館の訪問。そして、原爆慰霊碑に献花される姿は何とも感慨深いものでした。

この日本の地で国家、民族を超えて、神様捧げられた祈り。

犠牲者の霊魂が慰められ、世界の平和がなされることを切実に願います。

ニュースで原爆資料館を見ている海外の方のコメントなど見ている中で、私自身も過去原爆資料館に行った時のことを思い出しました。

 

私は、中学校の社会科の先生がアイヌ民族の方でした。差別の険しい歴史がある背景から、差別や暴力、平和に対する希求が強い方でした。いつも憲法9条の平和に対する話を熱くされていて、正直「またかぁ~」と思っていた記憶があります。でも、日本の絶対教科書に載っていないリアルな話ばかりしてくれました。そんな先生の影響から、社会や歴史が大好きでした。

この世の「ものごと」と言うのは、一面的なことだけ見て判断できるものではなく、多面的に見ないと真実と本質はわからない。だから、正しく学んで自分で確認することが大事なんだなと中学の時に私が学んだ大事なことです。

 

高校の時は部活の傍ら、いつも新書を読んでいました。私が高校2年生の時に読んでいたトピックは

「どうしたら核兵器を地球から根絶できるのか」このようなテーマの本はすべて読み漁りました。

でも、高校2年生の時、本を読み続けて見えてきたものがありました。

結局、核兵器をなくすためには、核兵器という「もの」自体が問題ではなく、それを扱う人の「こころ」なんだなと。

これは、大切な「私の気づき」でした。

 

世界平和というと大きいことだけど、その大きなことも、小さいことからはじまる。

結局は自分の一人のこころから「平和」も生まれるし、「憎しみ」も生まれるのだなと。

だから、結局は人の心が変わらなければ、いけないんだなと。これが高校のとき学んだ大切なことです。

この時、私はまだ聖書に出会っていない時でした。

大学に入って、聖書を学ぶようになったとき、イエス様の言葉に出会いました。

 

ルカによる福音書17:20~21

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。

また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。

神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

神様の国は、天国のことを言っています^^

天国はいいかえると、「愛の国、喜びの国、平和の国、痛みのない国」だと聖書に書かれています。

イエス様は、神様の国、平和の国は「自分の内面、こころ」からくる。

だから、まずは自分を平和な人につくりなさいとおっしゃいました。

平和は願って、待っていれば誰か与えてくれるものではない。

平和を作り出す人が地球に満ち溢れてこそ地球が平和になる。だから、まず自分がどうするかが大事。

この話を聞いて、すごく納得した記憶があります。

そしてちょうど、この話を聞いた直後に、広島の平和記念公園に行きました。大学2年生の夏休みのことでした。

原爆資料館を見て、衝撃を受け、どこか呆然として、真夏の雲一つない公園を歩いている時に、

自然と涙が流れました。後にも先にもあんなに泣いたことがありません。

自分が泣いているのではない、人生で初めて感じる感覚でした。

 

神様の貴重な命。推定でも1945年12月までに14万人が亡くなりました。

その後の後遺症に苦しんだ方、遺族の方まで含めたら数えきれません。

どれほど、苦しかったのか、悔しかったのか、もっと生きたかったのか、家族に会いたかったのか、

自分の中に色々な感情が渦巻いていました。永遠な霊というものが存在することをはっきり感じました。

 

自分には何ができるかははっきりわからないけど、

「ただ、平和のために生きよう」と決心した大学生の時でした。

 

関連記事

TOP
error: このコンテンツは保護されています。